理事長所信

所  信

社団法人奈良青年会議所

理事長 緒方 賢史

敬意と信頼

 

【神仏と自然と人が共生するまち、奈良】

 1998年7月19日、26歳の私は、知る人も親戚も一人としていない奈良のまちに降り立ちました。そして、いつしか縁あって奈良の地に根を下ろし、今、幸運にも、多数の知己と尊敬できる方々に囲まれています。私を奈良に根付かせたもの、それは、街中のそこかしこに存在する歴史の痕跡であり、継承されたものと進化したものが両立しているまちの姿でありました。

 神仏と自然と人とが一体となり、それが当たり前のように共存し、互いが互いを生かし合っている社会。これこそが、ほかのどこでもない奈良の本質を表す社会であり、奈良が日本の理想を示していく地域であるための中核的要素なのです。その神仏と自然との共生の理念は、目に見えない心の中の絶対的な存在に対する畏怖の心という形で、人々の意識の奥深くに宿っています。

 子どもが大人の言うことを聞かない、そして大人がそれを許している社会、相手が傷つくと分かっている言葉をむしろ意識して互いに発し合い、不毛な精神の刃を向け合っている社会、そして、他人の存在に対する基本的な尊重という素養が欠落している社会であるからこそ、畏怖の心に裏付けられた謙虚な心持ちが、そして、それに基づく他人への敬意と信頼が、人々の間に取り戻されるべきです。

 今こそ、この奈良は、すべての日本人の心の帰着点として、その本質を市民自らが見直し、その地に住んでいること、その地で育ったことを市民自らが誇りに思っていくまちでなければなりません。

 

【地域コミュニティの推進】

 アメリカのテレビ映画「モリー先生との火曜日」で、行き詰まった人生の活路を求めて大学時代の恩師であるモリー教授の下を訪れた主人公に対し、教授の最初の一言は、「地域コミュニティには貢献しているか?」でした。つまり、人の存在価値を大きく左右するのが、その人が地域コミュニティにどのように関わり、どのように影響を与えているのか、ということであったのです。

 地域に根付いている理念は、地域においてしか伝わりません。世代を超え、世帯を超えた住民同士の連帯意識が重要です。相手のことを自分と同じように考え、自分が相手にしてほしいことを相手に対しても行う、という思いやりと相互理解の心は、地域における身近な他人との関わりによって初めて養われるものであると考えます。

とりわけ、その中で現在において最も社会から姿を消しているのは、高齢者という要素であります。私たちの中で、高齢者が単なるいたわりの対象になってはいないでしょうか。もしくは、青少年や壮年層にとって、単に敬して遠ざけるだけの存在になってはいないでしょうか。

そうではなく、数々の経験を積み、人徳と見識を備えて来た人たちは、社会の貴重な財産であると位置づけるべきです。青少年は高齢者に敬意を表し、臆することなく、また遠ざけることなく、その中に飛び込んでいく。他方、高齢者の側も、遠慮することなく、また侮ることなく、共感と包容力を持って若い力を受け入れ、そして、地域の一角を担う存在としての自覚を持つ。そのような世代を超えた太いパイプを持つ社会が実現できてこそ、地域に対する誇りと愛着とが引き継がれ、自分とは異なる立場の人に対する敬意と信頼とが生まれていくものであると考えます。それによって、一人ひとりが大切にされ、誰もが笑顔で生きていくことのできるまちが完成するのです。

 

【観光都市意識の確立】

 奈良のまちが、全国から人々が訪れる日本有数の観光都市であることはいうまでもありません。ところが、そのように、せっかく外から人が来てくれるまちでありながら、奈良県は宿泊観光客数においては全国最低レベルなのです。

数多くの人々が奈良を訪れながら、観光地を見るだけで満足し、奈良のまちにとどまることなく立ち去ってしまう原因はどこにあるのでしょうか。それはやはり、私たちも含めた住民全体に、地域についての基本的な知識や見識が不十分であり、かつ、その地域の特性を対外的に発信していこうという熱意と意欲が不十分であるところに根本的な問題があると考えます。

したがって、ここで新たな「観光都市意識」を地域全体に醸成していくことが必要なのです。観光とは、単に観光地に来てもらうことを意味するのではありません。「光あるもの」を「観せる」こと、地域に宿る理念を、奈良を訪れた人や奈良以外の地域に住む人たちに伝えていき、この奈良が日本のまほろばとしてこの国を支えていく存在であると自覚していくことこそが重要なのです。

そのために、私たちはまず、観光都市に住む市民としての誇りをまず胸に刻み、必要な知識を身につけ、地域が有する「光あるもの」に対する敬意と誇りを持ち合わせる。その上で、このまちの魅力を、地域を越えて拡げようとする強い意志と行動力、そしてそのための戦略や方法論を持つことが必要です。それによって、外から奈良を訪れた人を市民全体で歓迎する意識が構築され、誰から見ても魅力的な、日本からも世界からも信頼される奈良のまちが完成するのです。

平城遷都1300年を迎えるこの年であるからこそ、平城京を創り上げた先人たちの情熱を現在に生きる私たちが実現し、それを日本全体に対して力強く波及していかなくてはならないのです。

 

【経営力の開発】

 団体としてのJCの特色は、青年経済人の集まりであるということです。したがって、経営力の開発に関するメンバーのニーズは、常に高いものであると考えます。もちろん、それは、単にメンバーの会社が儲かればよいということではありません。JCが中心となって地域の経営力を高めていくことが、地域に夢と希望を与え、前向きな社会を生んでいくことに意味があるのです。

 メンバーが勤める企業の大半は中小企業です。しかしながら、市民の意識は、単純に言えば、「ものを買うなら大都市・大企業」との方向性に傾き、資産の地域外流出を招いています。統計によれば、奈良県民の一人あたりの貯蓄額は、都道府県別で見た限り、全国でもトップレベルなのですが、しかし、県内における1人あたりの消費額は最低に近いのです。この意識を変革し、県内における経済活動に目を向けてもらう必要があります。

確かに、純粋な価格競争や単純なマンパワーの比較でいえば、地域の企業は大企業には勝てないでしょう。したがって、これに対抗するためには、顧客のニーズを的確に捉え、相手方に対して細やかな気配りのできる、人格的信頼に足りる企業である必要があるのです。消費者の発注は、客観的な数字だけで決まるのではありません。むしろ、契約や取引の相手方個人に対する信頼という要素も大きいのです。このまちにそのような「人格的信頼に基づく企業」が育っていくことが、地域の経済の活性化を生んでいくのです。もちろん、それを消費者の領域に伝えていく営業の力、情報発信の力といったものも育てられていくべきです。「こんな時代だから」の一言ですべてを片付けることなく、その原因を見極め、効果的な対策を講じ、とるべき手法を確立していくことが必要なのです。

 それによって、メンバー自身の経営力が高まり、さらには、奈良が持つ潜在的な経営基盤に自信をつけた各企業者の経営力が高まり、地域の経済活動全体に対する敬意と信頼が確立されていくのです。

 

【意識の連帯の形成】

 このように人々の意識を変革しようとする以上、当然のことながら、私たちはまず自分自身を変革しなければなりません。それでは、これからの奈良JCは、そして奈良JCメンバーはどうあるべきでしょうか。

 まず、地域との連帯を常に確立している団体であるべきです。自己完結ではない、常に幅広い人たちとのつながりと信頼関係を持った団体である必要があるのです。2009年には、創立50周年記念事業を契機として、多方面への幅広い新たなつながりを持つことができました。この貴重な関係を大きな財産ととらえて、その関係を意識の連帯にまで高めていく行動が必要です。そのためには、私たちが何をめざし、何を行っているのかをリアルタイムで常に発信し続け、誰からも親しみやすく分かりやすい存在とならなければなりません。

 次に、メンバー同士の連帯が何よりも重要です。JCと同じく社会奉仕を旨とする団体は、ほかにもいくつもあります。しかし、JCと他の団体との決定的な違いは、互いの熱き友情と絶大なる信頼関係にあると考えます。多大な時間を共有して強い志の下に共に汗を流し、ときには激しい議論も辞さない関係であるからこそ、卒業制度を採用しているにも関わらず、生涯にわたる信頼関係が構築できるのです。自らが仲間を絶対的に信頼する代わりに、自らもまた仲間からの信頼を得るにふさわしい行動を実践する、そのような当たり前のことの重要性を再度メンバー自身が認識すべきです。それによって、私たちは、常に一つの志を共有する同志となることができるのです。

 さらに、家族との連帯を確立することが必要です。対外的に運動を行おうとする場合に、家族はその最大の応援団です。私たちは、権力があるわけでも財力があるわけでもありません。ただ、地道にいろいろな場面に足を運んで理解を促進していくだけです。そして、家族においてすら運動への理解がないのであれば、地域全体に対する運動が成功することなど、到底おぼつきません。

 そして、これらすべての連帯の確立が最も端的な形で実現されるのが、会員拡大であると考えます。会員拡大は、連帯意識の拡大の成果を具現化するものであり、JC運動そのものなのです。連帯のプロセスがすべて十分に機能していれば、それは会員拡大という形で明確に反映されてくるはずなのです。まず、自らが自分の行動に誇りを持つことのできる人間となった上で、それを、自信を持ってJCの枠外の場面でも推進していきましょう。会員拡大の原点はまさにそこにあるのです。

 

【新時代の運動の創造に向けて】

 昨年、私たちは創立50年目の記念すべき年を迎えました。それでは、新たなる第一歩としての創立51年目に、私たちは何を考えていくべきでしょうか。

 まず、これまでと同様の運動の手法は継承していきつつも、さらに、これまでになかった新たな運動の手法を確立していくことが必要です。これまでの運動においては、一つの事業が単年度限りで終わってしまう、対象者が年ごとに変わっていく、といった弱点が指摘されていました。運動指針「『なら結び』で育む縁」に基づき、愛郷心と思いやりを通じて過去と未来を結んでいくためには、年度を超えて継続的に、かつ、明確に特定された対象者に対して働きかけていくことが重要となります。したがって、 そのための新たな事業イメージを確立し、さらには、そのような事業を実践していくための感覚や方法論をも取得していく必要があります。

 他方、対内的な部分に目を向けると、人々の間に「なら結び」の理念を浸透させるためには、何よりも私たち自身が強く団結していなければなりません。個々のメンバーが、自分は何のために奈良JCに所属しているのかという基本意識を確立した上で、団体への帰属心と団体のための行動意欲を共有していくことが必要なのです。そのために、現在存在している組織上の問題点を正確に抽出し、改善のための前向きな方法を編み出していくことも行っていくべきと考えます。

 それによって、運動指針の理念は確実に実現されていき、これからの50年、さらにはその先への未来へと向けた大きな運動の発展へとつながっていくのです。

 

【運動は満ち潮のように】

私は、JCの運動とは満ち潮のようなものであると考えています。見た目には、何も変わっているようには見えません。しかし、その水面の上昇は確実であり、一秒たりともその場にとどまることはありません。そして、しかるべき時が経過すれば、遠くにあったはずの波はいつしか足下を洗い、着実に人々に届くものとなっているのです。気がついたときには、すべてが大きく変化しているのです。

どのような運動も、目に見える変化は、一日で起こるものではありません。また、最終目標に達するための王道もありません。あえて王道というものがあるとすれば、それは、地道な日々の活動の積み重ねにほかならないのです。回り道に見えても、長い目で見ればそれが一番の早道です。

神仏と自然と人とが共生するまちにふさわしい、人々が畏怖の心に裏付けられた謙虚な心持ちを有し、それに基づく敬意と信頼を誰もが互いに有している社会は、私たちの手で必ず実現できます。

一人ではできないことでも、同志の力を結集すれば、不可能なことはありません。ときには、苦しい日々もあるかもしれません。しかし、そのようなときでも、その先にある大きな目標への到達を信じて、共に手を携え、一歩一歩確実に進んでいこうではありませんか。