渋滞

 急に夜に香芝に行かないといけなくなって、いつもどおりに天理インターから西名阪に入ったら、「香芝まで50分」とかいうとんでもない表示が出ていて、料金所の先が塩漬け状態でした。仕方がないので郡山インターで降りて(ここまでで15分くらい)、橿原→高田回りでやっと目的地に着き、用件を済ませて香芝インターに向かったら、今度は「香芝←→天理 20時~05時 工事のため通行止め」の表示が・・・。仕方がないので王寺回りで帰り、全部合わせて3時間以上かかりました。疲れた・・・。(ちなみに、この工事って何の工事?)

 

 子供の頃に、「渋滞の一番前はどこにあって、どうなっているんだろう」ということを真剣に考えたことはないですか。実は今でもこの答えはよく分かっていません(事故とか工事とか片側通行とか明確なポイントがない、自然発生の場合)。それに加えて、小さい頃は、「赤信号からスタートする場合は、さんのがはいで全員が一斉にスタートしたら、時間が節約できるのに」とか、「(先の方の信号が)青信号のときに動かなくて、赤信号になったら動き出すのは何でだろう(←なぜかそうなりがち)」とかいうことで日々頭を悩ませていました。

 

 で、長年緒方は渋滞アレルギーだったのですが、渋滞に悩まなくていい方法として、「そもそも、急がなければならないということを考えない」という最強の解決方法を思いついたのは、ごく最近の話です。

 

(2010/03/09)

 

 

今日の一本

「スラムドッグ$ミリオネア」(2008、英・米)

 ※若干ネタバレあります。ご注意を。

 

 米アカデミー賞の受賞作品の発表がありました。昨年この作品が8冠を制してから、もう1年が経つんですね。上映当時は映画館まで見に行きましたが、先日、偶然再び目にする機会がありました。

 

 物語は、インドでのクイズ・ミリオネアの最後の一問から始まります。ムンバイのスラム出身の無学な青年が、あと一問でミリオネアというところで、彼は、「これは不正があったに決まってる」と逮捕されてしまいます。その取調で彼の半生が語られていき、クイズの第一問からの進行、取調の会話、主人公の回想の3本の軸がクロスしながら物語は進んでいきます。

 

 公開当時は、スラムの描写とかクイズで勝ち進むサクセスの成否とかが話題になりましたが、私が考えるこの作品のコアはそこではありません。骨子はピュアなラブストーリーです。日本映画にもアメリカ映画にも2~30年前には当たり前にあった、素朴で単純なラブロマンスです。実は、スラムもクイズ番組もその装飾にすぎません。主人公は常に一直線にラティカのことを考え続けています。その視点は、幼い頃に全速力でスラムをかけめぐった視点そのものであり、映画は終始この軸ですべてを突き抜けて進行します。

 

 終盤では、作品の大きな謎が解き明かされます。それは、「彼ははたしてミリオネアになれるのか?」でもなければ、「彼はなぜ最後の一問まで勝ち進めたのか?」でもない。「そもそも、彼はなぜこの番組に出ようと思ったのか?」ということなのです。この隠れた謎の呈示が、作品の基本的構造をも劇的に変化させています。何問勝ち進んで金がどれくらい入るかというようなことは、彼にとっては二の次だった。ただし、出演した目的の達成のためには、一問でも多く勝ち進む必要があった。そういうことなのです。

 

 描写上の技巧の数々を駆使しながら技巧に振り回されていない、優れた作品だと思います。

 

(2010/03/08)

 

 

会員旅行!

 昨日と今日の会員旅行は、本当に楽しかったです。西田委員長、これまでのご準備おつかれさまでした!

 

 一番嬉しかったのは、どの一つをとっても、「これはどうしてもこうしたい(ここにみんなを連れて行きたい)」という委員長のこだわりと、そして細部までの心遣いが感じられたことです。結局は、会員旅行は特にそうなんだけど、JCがやることって、行きつくところは全部この2つなんですよね。

 

 水明館で気づいた点が一点。ここはとても有名なところのようで、また外見も建物3つからなる堂々たる温泉旅館であり、実際、到着したときも、入口には宿泊団体名がずらりと並んでいるようなところなのです。こういうところでは、設備は最新のものが充実していても、それだけ多くのお客さんが押しかける結果、旅館の中身を十分に味わう間もなく宿泊が終わってしまう、ということをこれまで何度も体験しました。ところが、ここでは、おそらくはたくさんのお客さんが泊まっているであろうにもかかわらず、一泊して翌日に退出するまで、その種のストレスを全然感じることがなかったのです。見えないところで、宿泊者の動き(導線関係含む)をコントロールするためのいろいろな工夫をされているんでしょうね(例えば、宿泊部屋の目の前が宴会会場などというのは初めて体験しましたが、これも、最初のレイアウトから計算されているからこそできることです)。

 皆さんは、この2日間で何に気づかれましたか?

 

※6日には偶然同じホテルで岐阜ブロック会員会議所会議が行われており、渡辺会長様のご厚意で、懇親会にてご挨拶の時間をいただきました。また、下呂JC大森理事長様・高山JC島光理事長様・下呂JCシニア中山英司先輩より、懇親会への差入をいただきました。ありがとうございました!

 

(2010/03/07)

 

会員旅行の思い出

 明日からいよいよ会員旅行ですね。とても楽しみです。

 そこで今日は、これまでの会員旅行の思い出を書きます。肩書はすべて当時です。

 

2001年(奥村委員長・高知)

 このときは途中から飛行機で参加し、途中で飛行機帰り。懇親会の皿鉢料理を、今でも強烈に覚えています。帰りは清水博一委員長の車で空港まで送っていただきました。清水委員長と話をしたのはこのときが初めてです。

 

2002年(野矢委員長・越前)

 どこかのSAで、樋口近畿地区委員長の名言「ハチハチ揃ってたら出発してええねん」を聞いたのはこのときだったかな。そのときは「さすが樋口委員長、てきぱきしてるなあ」と思ったのですが、よく考えたらとんでもないことを・・・。そういえば、「遠征に行ったときは、行けなかった委員会メンバーのために、ちょっとしたものでもおみやげを買って帰る」ということを清水博一委員長から教わったのも、このときでした。

 

2003年(川村委員長・加賀屋)

 「どこにも寄らずに加賀屋往復一直線」で伝説となっている会員旅行です。行きの道中で、いろいろお金を使っていたらいつの間にか所持金がなくなってしまい、尾形副委員長に1万円を借りてしまったのは、今でも私の中ではトップクラスの黒歴史です。

 

2004年(泉井委員長・広島)

 広島まで往復バスツアー!!という、まさしく委員長の執念が生んだ会員旅行でした。何といっても平和記念資料館がこの年の目玉だったのですが、もっと印象的だったのは、「2日目は資料館に着くまでは禁酒です」と言い切って委員長が一切酒を出さなかったこと。真面目な一面を見ました。

 

2005年(安田委員長・名古屋)

 何次会だったか忘れましたが、清岡・松浦・成田・緒方という構成で飲んでました。話の90%は成田委員長の恋愛観についてでした。良い相手が見つかって本当に良かったね。

 

2006年(辻本達也委員長・徳島)

 中野さんが必殺のデュエット・ソングを初披露したのはこのときだっけ?あと、平井陽出一君とバスの中で映画談義をしたのも覚えています。論点の1つが「ギャング・オブ・ニューヨーク」だったね。実はあの作品、今では名作だと思っています。

 

2008年(辻本和弘委員長・鳥羽)

 2001年以来の途中参加となりました。10年ぶりに鳥羽水族館に行ってアシカのぬいぐるみが買えたのと、ミキモトパールで真珠のペンダントのお土産が買えたのが良い想い出です。

 

2009年(今柳委員長・白浜)

 どうしても、清岡がパンダの帽子をかぶって喜んでいたのと、昼飯のときに人のソーセージを奪いに来て喜んでいたのを思い出すなあ・・・。アドベンチャーワールドは行ったのは2回目ですが、今行っても十分に楽しめますね。

 

 さて、今年はどんな想い出ができるでしょうか?

 

(2010/03/05)

※6日は、会員旅行中につきお休みです。

 

全国大会の式典が土曜日である理由

 先日、全国会員大会運営会議の小田原会議をオブザーブに行ってきました。その全体会議の中で、全体スケジュールにおいて、以前は式典は日曜日(の午前中)であったのに、なぜ土曜日(の夕方)になっているのかという質問が出ていました。そこから後、それについて考えていた緒方の理解です。

 

 2008年の浜松大会までは、土曜日の夜に大懇親会、日曜日の午前中に式典というのが標準スケジュールでした。ところが、このスケジュールには問題というか限界があることがだんだんと判明してきました。

 第1に、スケジュールがあまりにも過密で、参加者も運営者も、プログラムを実施するだけで手一杯になってしまうということです。次年度理事長・専務ミーティング、日本JC各委員会のセミナー・フォーラム、宮様歓迎レセプション、大懇親会(+LOMの懇親会)というのが全部1日に押し込められ、参加者にとっては、次々に行われるプログラムについて回るだけで精一杯であり、そもそもいつチェックインしたらええねんとか、そういうことまで問題が発生していたのです。まして、プログラムの間にその地域を自分の視点で観察し、味わい、勉強するというような、全国大会が本来持つ大きな意義については、到底実施困難となっていました。

 第2に、本年度と次年度が交錯して進行することにより、各プログラムの意義が見えにくくなっていたということです。このスケジュールだと、例えば、次年度理事長予定者は、式典で次年度会頭スピーチを聞く前に予定者ミーティングに出席することになりますが、そんなことで内容を理解できるのか、ということです。

 

 そこで、金曜日に大懇親会、土曜日に式典、次年度関係は日曜日に、という新たなスケジュール案が提唱されました。これについては、2008年9月に日本JC本会の理事会で可決審議された「次代の全国会員大会の方針」にも、モデル案として明記されています。

 

 これによって、プログラム構成にも余裕ができ、参加者はセミナーやフォーラムに参加しやすくなる、プログラムの間にその地域を独自に体験することもできる(主管LOMにとっては、それにあわせて記念事業を実施することも可能)、という大きなメリットが発生しました。また、土曜日までは本年度ファンクション、式典で会頭の総括スピーチを聞き、次年度会頭の受諾スピーチを聞いた上で、それに基づいて日曜日には次年度関係ファンクション、という、明確な1つの流れを構成することも可能になったわけです。

 

 したがって、全国大会の式典が土曜日であるのは、単なる運営の便宜だけではない、大会としての本質的な理由があるのです。

 

(2010/03/04)

 

強盗致傷と窃盗・傷害

 裁判員裁判はまだこれから整理されていく制度だと思うが、一つだけ、大きな変化として何となく感じていることがある。それは、以前ならば強盗致傷罪として起訴されていたような事件が、窃盗罪と傷害罪(の2つの併合罪)として分断されて起訴される傾向があるようなのである。

 強盗致傷罪は、前は刑の最低限が懲役7年だった。情状酌量があるとさらに最低限の半分まで減軽できるが、それでも3年半である。他方、執行猶予をつけるためには、主刑が3年以下でなければならない。つまり、判決で強盗致傷罪と認定されてしまった瞬間に、初犯だろうが示談ができていようが嘆願書があろうが、執行猶予の余地はなく、自動的に実刑になる仕組みだったのである(心神耗弱や従犯減軽に該当すれば執行猶予は可能だが、それは特殊なケース)。それではあんまりだというので、刑法が改正されて、最低限が懲役6年に変更されたくらいである。

 他方、強盗致傷の「強盗」や「傷害」は、判例の積み重ねで、とても広く解釈されるようになった。バイクで後ろから近づいて不意を突いて鞄をひったくる行為も、裁判所に言わせれば「強盗」であるし、全治3日間の擦過傷や打撲でも、裁判所に言わせれば「致傷」だったのである。したがって、強盗致傷で逮捕された被疑者をどうやって窃盗・傷害での起訴に持ち込むかということは、弁護人にとっては非常にシビアな課題だったのである。

 裁判員制度施行後、強盗致傷罪は裁判員裁判の対象となったが、そうなると、もともと争われることの多かった「強盗」や「致傷」の定義が、今度は裁判員を交えて判断されるようになった。すでに批判の多い、日本語の語感からも乖離した、一般人にはぴんとこない解釈である。つまり、ここが争われる事例が全国で増えれば、従前の解釈が大きく覆される可能性があるのである。検察当局もその辺は予想して、危なそうなのは大事をとって窃盗・傷害に落として起訴しているのではないかと、勝手に推測している。「裁判員の加入によって、従前のラフな解釈が大きく見直される!」なんてことになったら、検察庁も裁判所も格好悪いもんね。

 で、大事なことは、物事の変化というのは、こうやって目に見えない部分からまず表れるということです。「強盗致傷罪の起訴が減って窃盗・傷害に流れるようになった!」なんて、かりにそういう事態が存在したとしても、マスコミではまず報道されないですよね。つまり、分かりやすく目の前に見えていることからだけ判断してはダメであって、視野は常に大局的に、かつ、様々な角度に目をつける視点を備えた上で持たなければならない、ということです。

 

(2010/03/03)

今日の一冊

森博嗣「自由をつくる 自在に生きる」(集英社新書)

 

 私が大好きな作家の1人です。もともとは本格推理作家として登場したのですが、その後、エッセイやギャグ小説や幻想系小説、さらには詩集から写真集まで発表しています。しかも本職は工学部の大学教授です。さまざまな引出を持っている人です。多作な人でもあり、私が持っているだけでも、今数えたら62冊目でした。

 

 本書はこの人には珍しく、最初から最後まで抽象論に終始したものです。もちろん、意識してそうしたのでしょう。「具体的すぎる論は人と共有できない。抽象論こそが本質だ」とは、この人があちこちで書かれていることです。お題は「自由とは何か」。

 

 自由といえば、体制からの自由、支配からの自由、規制からの自由というのをすぐ連想しますが、この本が提唱しているのは、自分自身の自分に対する支配からの自由こそがその根源であるということです。

 

 人は、意識的にせよ無意識にせよ、決めつけや思い込みやレッテル貼りやこだわりによって自分の可能性を狭めている、無垢な感性を確保することによってその枠組に囚われないようにすることが真の自由を生む、という内容です。重要な視点であり、もって銘したいと感じます。

 

 ちなみに、「ブログの罠」と題して、ブログを書いている人は、勝手に人の視線を意識して、ブログに書けそうなことだけ考える日々を送るようになる危険性がある、ということも書かれています。このコーナーの書き始めにこのような助言をいただいたのはまことに貴重でした(笑)。

 

 最後に、特に印象的だった一節を引用しましょう。

 

 「僕が思いついたのは、「若者は、年寄りの真似をすることで、早く大人になろう、大人として認めてもらおうとしている」という理屈である。年寄りほど、難しい顔で「つまらないからやめておきなさい」と言いたがる。子供から見ると、大人というのは、「それは駄目」「それは危ない」という否定指向のシンボルなのだ。だから、若者は自分にとって危険なものを早く見極め、それができたと主張することで、「豊かな経験」的なものをアピールしようとしている。自分も一人前の大人であることを無意識に主張している姿なのだ。」

 

(2010/03/02)

Prologue

辻本委員長のご厚意により、理事長ブログを開設することになりました。ありがとうございます。

小学校のとき、毎日、「生活記録」なるものを書かされていました。それは緒方にとっては難行苦行以外の何物でもなく、すっかり日記アレルギーになってしまいました。そもそも、腹が立つのは、絵日記の形であったので、毎日「絵」を書かないといけなかったことです。ある日、文章を大量に思いついたので、上半分の絵のエリアまで文章で埋め尽くしたのですが、先生からは特に何も言われませんでした。そのまま続けようとも思ったのですが、それを実行するほどの度胸はありませんでした。確か5年生になると、絵はなくなって文章だけでよくなったので、多少苦痛は和らぎましたが、難行であることは変わりませんでした。

中学生のとき、ふと思いついて、「あれは長かったから苦しかったのだ。短い文章であれば毎日でも書けるのでは」と考え、今度は手帳にその日あったことを書き留める(1日4行くらい)ということを始めました。これは、当初の危惧に反し、2年くらいは続きました。ところが、それに伴ってあることを発見してしまいました。それは、日々の生活の記録をとってしまうと、後でそれを意味もなく振り返ってしまう、ということです。振り返るだけならいいけど、あのときこうしたから今度は(も)こうしよう、などと、自分に束縛される発想になってしまうのです。それに気づいてからは、日記というものをつけるのを止めました。

ただ、今から考えると、あの頃に毎日書くことに困っていたのは、そもそも、ものを考えていなかった、発見というものをしていなかったからです。それから20年以上経ったら、少しは人間は進歩していて、1日に1つのことくらいは何か書き留めるに値する経験をしていることでしょう。多分しているはずです。しているんじゃないかな。その希望的観測を元に、深いことは気にせずに進むことにします。考える前にまず行動です。

さて、私が日々の出来事を綴るのは、中学生以来のことです。久しぶりのことなので、ちょっとどきどきしています。基本的には、緒方がその日考えたこと、認識したこと、経験したことを記載するのですが、どちらかといえば、書かれていることそのものよりも、緒方がどのような思考や発想で日々を過ごしているのか、そのウェイトやバランスをお伝えしたいと思います。といっていると仰々しいのですが、つまり、下らないことや無意味なことを書く日もありますよ、ということを単にあらかじめ予告しているだけです(笑)。

それでは、よろしくお願いします。

(2010/03/01)